2012年1月6日金曜日

一枚展を見て

一枚展、というのを友人たちがやっておりまして。
自分はずいぶん前に一度、絵のみと聞いていたので出さなかったのですが。
http://g-harajuku.com/?p=1027

原宿の奥のほうでやってます。9日…までかな?それくらいまでやってるので気が向いたら行ってやってください。

で、まあ今日レセプションパーティー→二次会まで参加して思ったこと。
作品として展示するには展示の仕方までが作品であること。(これは昔からそう思ってるけど)
面白みのあるものとそうでないものは一瞬で見分けられるということ。
好みか好みでないかは関係なく、写真家と自分は相容れないということ。
自分の写真はその場を切りとるという行為に意味を持っていて、出来上がるものには興味はないということ。
友人であろうとなかろうと、好きなモノは好きだし好きでないものは好きになれないということ。
作品に対しては友人とは関係なく作品として評価すべきだということ。
MURさんは話してておもしろくねーなーっていうこと。(これは二次会で思ったし作品とはなんも関係ないけどおもしろくなかった)(別に特筆すべきことじゃないけどそれが原因で二次会抜けてきたからちょっとイラついた)

14人くらいで集まって展示してて、それぞれ絵も全然違う、作風も違う、作品の出し方も違う、という展示でしたが、やっぱり雑多な感じは拭えない。
売るならポストカードだけじゃなく、作品も売ったらいい。と自分は思う。
売れるレベルでないから売ってないのかもしれないけど、それならなぜ渾身の一枚展、なのか、ということになる。
渾身の一枚展、なのであればあれらを全部売ってしまっても自分は構わないと思うんだけどなあ。
まあもちろん映像作品もあったわけでそれをどう売るかという問題にもなるわけだけど、どうも…あの場でポストカードと小さな作品のみを売ってるっていうのが自分にはちょっと疑問だった。
なぜ、ポストカードを売るのか。ポストカードを売って収益にするなら渾身の一枚である作品のポストカードを売ってもいいのではないだろうか(もちろん間に合わなかった可能性もあるけど)。それくらいなら渾身の一枚を売ってもいいのではないだろうか。
と。

そんな感じかなあ。
個人的に友人の作品展なのであまりきつくは言いたくないのだけれど、やはりつめの甘さが見えるというか、見る側としてはちょっとぼんやりしていて微妙だったなと思うわけです。
焦点があってない。どこを見ればいいのか見えづらい。
展示の仕方もそうだけど、どこまでが展示でどこからが休憩場所なのか分かりづらい…というより同じ場所になってしまっていてあまり展示、というしっかりした見方ができないと感じた。かな。
YSさんの作品はiMacでの映像作品だったけど、あれをうつすのにiMacである必要があったのか、iMacを選んだ理由があるのか、4:3のブラウン管でざりざりに写したらもっとよく見えるんじゃないかとおもったりした。

あとしかの作品はすごいなあとはおもったけどそれだけだった。作品としては何も感じなかった。あれはただのオブジェでしかなくて製作者の思いが伝わってこなかった。
そういう作品はいくつかあったけど、目立つところにあったから余計に気になった。

まあ…これ以上書いても自分は作品を作品として完成させてどこかへ出したりしてないので何も言う資格はないかもしれないなあと思う。
次にあるときは出してみようかなって思わなくもないけどあの惨状ならちょっともうちょっとなんとかしたいしなんとかならないかなあって思う。
もちろんこういった展示がみんなはじめてだってことを踏まえたらみんな頑張ったね、って思うんだけどね。

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